戒名「なんか」いらない に着目すべきでは?
戒名は必要か?
http://blog.goo.ne.jp/logos1961/e/d27fceff4911111b481006d32cc631c5
ゴールデンウィークの後半は、法事、坐禅会、御葬儀と続いて忙しかった。
本日も、御葬儀を終えたばかりである。
さて、少し前に、三国錬太郎さんが亡くなられた。
三国さんは「戒名なんかいらない」とおっしゃっていたと聞いている。
また、最近自殺なさった牧伸二さんも、お位牌には戒名ではなく、芸名を示されていたそうだ。
更に、つい先日、僕がお勤めさせて頂いた御法事でも、故人様に御戒名は無く、俗名のままでいらした。
このような戒名無しのケースは、僕にとって初めてであった。
諸行無常の時の流れの中で、これから益々「戒名なんか必要ない」と思う方々が増えていくのかも知れない。
そして僕は、一僧侶でありながら、「いや、何がなんでも戒名を付けるべきだ!」と主張する根拠も用意も持ち合わせていない。
「戒名なんかいらない」と言う方々には、「そうですか、わかりました」としか言えないし、何よりも、そのかたの希望を第一に尊重したい。
しかし、戒名を付けないとお寺側は収入が減り、寺院維持の深刻な問題に繋がりはしないか?と心配になる。
まあ僕はフリーランスであって、一ヶ寺の住職ではないので、詳しい事はわからないが…。
一方で、亡くなった故人様は、「戒名を付けないと成仏できない」という事もあるまい。
いずれにせよ、戒名も含め、葬儀の在り方、そして仏教への向き合いかたが、今後益々いろいろと変化していくのだろう。
以上 新・からっぽ禅蔵 さんのブログより転載。
気になったブログさんがあったので、転載させていただきました。
こちらの方は、僧侶さんのようですね。
そうであるならば、世間の声をきちんと聞くべきかと思います。
世間の大きな声は「戒名はいらない」ではなく、「戒名なんかいらない」というものです。
戒名なんか です。
これは「戒名はいらない」という発言と似て非なるものです。
「なんか」という言葉には、非難だけが込められているのではないのです。
そこ(「戒名なんか」)に愛憎を感じるのは、わたしだけでしょうか?
本当は普通に戒名がほしい。
でも、戒名をつけるだけで何十万とか払わなければいけない。
そんな戒名ってなんなの?それだったら戒名なんかいらない!
という意味合いの「戒名なんかいらない」だと思うのです。
もちろん、世の中には無料で戒名を授けている仏教に基づいたお坊さん、お寺さんは数多くあります。
でも、例外(高額な戒名料を請求するビジネス坊主)が多すぎるので、やはり世間の認識では、「戒名=ウン十万円」というのが、通り相場です。
こちらの方がフリーランスでやられているのならば、むしろ戒名を無料でつけますよ、という運動でもなさればいいのです。
そうすれば「戒名なんかいらない」という声はなくなり、仏教徒でなければそもそも戒名は必要ないのですから、「戒名はいらない」という思想信仰に基づく正常な声になると思うのです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿